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手記(上)

12/6/19:21
 旅に行く直前は本当に憂鬱になる。きっと数週間前は行きたくて計画を立てたのに,毎度のことながら行きたくなくなる。そろそろお風呂に入って準備をしよう。これは旅に限らず,いろいろな場面で起きる。これは良いことなの?悪いことなの?帰宅後に,その他の感想を超えて,「行ってよかった」と思えますように。

12/6/20:03
 顔の産毛や眉毛を整えた。少しヒリヒリする。持ち物の準備をしている。僕は極力,持ち物を持ちたくない。鞄でさえも持ちたくない。しかし,今回は一泊しなければならない。下着,靴下,ハンドタオル,歯磨きセット,髭剃り,櫛,手の塗り薬,眼鏡,フィルムカメラ,お財布,イヤフォン,充電器,モバイルバッテリー,折り畳み傘,ガム,腕時計,スマートフォン,鍵,これが全ての持ち物。忘れ物をしないよう記録しておく。必ずどこかに移動するときは,その都度確認すること。忘れ物をしたら,その物たちが泣いてしまうからね。

12/6/21:40
 家を出発した。息を吸い込むと,一つ一つの肺胞に空気が行き渡り,心地がいい。ヒートテックを購入してよかった。しかし,寒いことには変わりはない。僕は11月が好き。次いで2月。

12/6/22:01
 バスの待合室に到着した。出発まで一時間ほどある。これはタイムマネジメントが下手なわけではない。僕はお腹が弱い。だからこそ,済ませておくべきことは事前に済ませておく。いつもなら二人だから,一人だとなんとなくしっくりこない。居ると居ないでは大きく違う。いつもトイレやメイク直しが遅くて「早くして!」と思うが,それはそれでいいのかもしれない。いつもより乱視が酷い気がした。

12/6/23:10
 バスが出発した。いつもなら,仕切りの向こう側からニコニコしながら覗いてくる。今日はそれがない。僕は通路側と決まっている。なぜなら,窓際で景色を眺めたいとうるさいからだ。しかし,その数分後には音楽を聴きながら眠っている。たとえそうだとしても,それはそれでいい。僕は「心細い」と「いってきます!」と連絡を入れ,返信を待たずして眠りについた。

12/7/5:35
 バスタ新宿まで残り数十分というところで目が覚めた。爆睡していた。僕は近くにトイレがないと不安になり,お腹が痛くなる。そのため,乗り物に乗る前には何も食べない。何も胃に入れなければ,出るものもないという魂胆だ。眠りについてしまえば,その不安に襲われることもない。意識からつまみ出せば,なんら問題はない。しかし,急に気分が悪くなり,冷や汗をかき始めた。あと数十分持ちこたえてくれ,と願った。無事に下車し,新鮮な空気を吸い込んで,その呪いからも解放された。原因を考えたが,直前に買ったヒートテックがパツパツで身体が締め付けられすぎていたとしか思えなかった。見栄を張ってワンサイズ下を購入したことを後悔した。切実に痩せなければとも思った。でもおいしい食べ物がたくさんあるからなぁ。この決意は何度目?

12/7/5:58
 バスは時間通りに到着した。高崎駅行きの電車まで一時間ほどある。これもタイムマネジメントが下手なわけではない。腹痛が怖くて発生する弊害。なんとかしてほしいです。なんとかしてください。

12/7/6:00
 土曜日の早朝だというのに,駅構内を走って移動する人がいる。土曜日の早朝からどこへ行くの?何をしに行くの?それって幸せなの?鉄の塊に乗り,齷齪と生きている。電車の時間が主軸で,みんな迎合的に支配されていく。幸せな生活って何だろう?駅全体の電灯が点いた。本格的に都市が再生した。目の前にはモアナの電光掲示板が煌々と流れ続けている。君は疲れないの?

12/7/6:23
 東南アジア系の観光客に「空港はどこ?行き方を教えて」というニュアンスの質問をされた。僕は「I'm here from Sendai in the Tohoku region. I’m sorry.」と返答した。多分,文法的には間違っていると思うが,伝わったような気がする。

12/7/6:58
 高崎駅行きに乗車した。湘南新宿ラインには初めて乗車した。今回の旅の前にSuicaを購入した。Suicaってこんなに便利なんだね。毎回よく分からない線描画のような路線図を見ていたが,その必要もない。とてもストレスフリーな電車ライフが始まった。どこにでも行ける気がした。物理的にも,概念的にも。

12/7/8:51
 高崎駅に到着した。想像以上に寒かった。僕は「ええ,高崎人ですよ」のような風貌で歩いていたように思う。別に意図はない。スマートフォンを見ながら歩いているため,その時点で観光客なのはバレバレです。

12/7/8:55
 パン屋さんでパンを二つ食べた。黄金メロンパンとコーンマヨパン。それが食べたかったというよりも,ただそこにあったから入店した。一人で食べたから,すぐに食べ終えた。眠っているだろうけど,「とてもおいしかった!一緒に来たときは,ここで朝ごはんを食べようね」と連絡を入れた。

12/7/9:18
 天然温泉に行きたいが,バス停が分からず,駅の「なんでも答えます屋さん」に聞いた。出発まで二分しかない。地図とパンフレットをいただき,なんとか間に合った。六番線と言われ,そうであろう路線に乗車したが,本当にこのバスで合っているのかは分からない。普通に不安。パンフレットの中には割引券が封入していた。使用期限は11月末までだった。

12/7/9:24
 少しの時間バスに揺られ,おじいさんに話しかけられた。

「これってキョウモクって通るかね。」
「すみません。僕,今日仙台から来てて,この土地のこと全く分からないんです。」
「ああ,そうかい。兄ちゃんはどこ行くんだい?」
「僕は天然温泉『湯都里』に行きたくて,このバスで行けますか?」
「行けるよ。安心しな。」
「兄ちゃん,ここで降りな。降りて右手に温泉があるよ。」
「ありがとうございます。天然温泉,堪能してきます!」
「旅,楽しんでね。」
「ご親切にありがとうございました。楽しみます!」

人のやさしさに触れること。ところで,おじいさんは無事に着けたのだろうか。

12/7/9:31
 天然温泉「湯都里」に到着した。朝風呂価格で700円とバスタオル代220円で入浴することができた。長い間温泉に浸かっていた。時間の兼ね合い的に,一通り入ったらすぐに上がろうと思っていたが,どんどん計画は狂い,結局二時間ほど入浴していた。それもそれでいい。自分がしたいことをしている。これも旅の一貫だ。長風呂のせいで頭が痛い。また来よう。
 今思い出した。僕が髪の毛を乾かしているとき,横に薄毛のおじいさんが来た。薄毛とは言っているが,もっとわかりやすく言うと,正式なハゲだ。ほぼ無いに等しい頭髪を備え付けの白い櫛で丁寧に整えていた。思わず「整える髪,どこにあるの?」と失礼な悪口を言いそうになったが,多分僕には理解できない範疇でのこだわりや見栄があるのだろう。僕も行く末は頭髪が消え去るのだろうから,他人事とは思わず,常日頃から丁寧にケアしていこうと思った。

12/7/12:00
 高崎駅に戻り,「美術が奏でる音楽」という広告塔を見て,行く予定ではなかった「高崎市美術館」に赴いた。そこに意図や目論見はなく,ふらっとなんとなく寄ってみよう,時間潰しになればいいという具合だった。入場料は200円でどのようにして運営しているのかと疑問に思った。一通り作品を鑑賞し,最上階の写真展に向かった。入口に一人の青年がおり,「誰だ?」と思ったが,特に気に留めずに入室した。その写真展は主に自然と一体化する動物の写真が展示されていた。「高橋海斗」という写真家が撮ったものらしい。展示会の導入部分を拝読した。率直にいいね,この考え方と思った。この写真展は「生と時の環」と名付けられたらしい。展示室後方に一冊のキャンパスノートが置いてあった。これまでの来訪者が各々感想を書いているようだった。僕も以前,「写真を撮ること」についての文章を書いたため,その一説をそこに遺した。書き終えた後に,学芸員さんが僕に声をかけた。

「本日,高橋さんがいらっしゃるので,もしよろしければお話されますか?」
「そうなんですね。是非,お話しできれば嬉しく思います。」

 入口にいた青年がこの空間を創出した「高橋海斗」であった。長い間お話しをした。時間で言うと二時間程度だったと思う。「視覚的言語」,「ミームの表層」この言葉は覚えていようと思う。

12/7/14:04
 これまでの嬉しい出来事を電話で伝えた。自分のことのように喜んでくれた。

12/7/15:27
 桐生駅に到着した。印象はなにもない街。この街について何も知らない。今回の旅の目的はこの土地で開催されるトークショー。僕は「上出遼平」という人物が好きで,わざわざここまで来た。イベントの内容は山,登山に関するもので,僕は山を登ったことがないし,道具の一つも持っていない。ただただ,「上出遼平」に会いたくてここまで来た。

12/7/15:55
 トークショーは19:00スタートであるため,念のため会場の視察に来た。ご夫婦で来ていたり,年齢層が高かったり,地元の人々,常連客が多く,なんとなく場違いのようなそんな感じがした。店頭に上出遼平が居た。緊張と居心地の不安定さから五分ほどで退店した。上出遼平とお話しすることはできそうになかった。

12/7/16:07
 あと三時間どうやって時間を潰そう。街をたくさん歩いた。街を理解しようとした。結局,寒さと空腹を紛らわせるためにKFCに来てツイスターを二本も食べた。トークショーで夕食を食べるのに,長い間居座るには,せめてもの二本であった。食べ終えて,Podcastを聴きながらゆっくりと目を閉じた。このような待ち時間は,一人だと冷たく,永い。街はもう暗闇の中に沈んでいた。

12/7/18:07
 Purveyorsという会場に移動した。大きな倉庫を改良したこの空間に,動物の剥製,南米の絨毯,ドライフラワー,壁に立て掛けてあるアコースティックギター,橙色の照明,無機質なストーブ,天井には吊り下げられたボート,腰が深く沈むソファ,既に酒気を帯びている人々,会場を支配するウェイトレス,そして僕が居て,上出遼平が居た。遠くの方から何やらいい香りが漂ってきた。ウェイトレスに案内され,自分の席に座った。背もたれの無い丸椅子であったため,誰かが座るあのソファが羨ましかった。すぐさま注文票を見て,限定プレートのアマゾン料理「ヴァタパ」とリンゴジュースを注文した。この「ヴァタパ」というのは,ややスパイシーで薄緑色のシチューのようなものと説明を受けた。アマゾン料理というだけでどことなく身構えてしまう。何事もそうだ。対象を知りもしないのに,知ろうともしないのに反射的に拒絶,防衛をしてしまう。
 注文から程なくしてお料理が届いた。薄緑色のルーに白米,ミニトマトのようなもの,エビとお肉が入っていた。初めてのフィルムカメラで写真に収めた。「いただきます」と手を合わせて,いざ食べてみると,とてもおいしく,そのスパイシーさが病みつきになった。ミニトマトのようなものは「ようなもの」であって何かは分からなかったが,独特の酸味があった。あっという間に完食し,計画的に飲もうと思っていたリンゴジュースも同時期に氷だけになった。二杯目を注文しにカウンターに向かった。

12/7/20:34
 19:00にスタートしたトークショーは一時間半ほどで幕を閉じた。周囲の空気感を観て,真っ先に上出遼平のもとへ向かった。

「お写真を撮っていただけないでしょうか。」
「是非!撮りましょう。どこからいらっしゃったんですか?」
「仙台から来ました。覚えていらっしゃるか分からないのですが,大学院受験前に『センスとは何か』という質問をした者です。」
「あ!あの難しい質問をした人だ!遥々,仙台から来ていただきありがとうございます。」

 この言葉のやり取りは鮮明に記憶していて,その他は不鮮明なままにした。フィルムカメラでこの瞬間を閉じ込めた。上出遼平が創る作品や文章,インタビュー記事から書籍まで短時間で摂取した。「どんなに憧れの人も存在する」ということを「身体性」の伴った体験で実感した。握手もした。「冷え性ですか?」と問われたが,「緊張のせいです!」とつまらない返答をした。あたたかく,重厚な皮膚に包まれていた。

12/7/20:43
 写真を撮り終え,会場を散策していると,「阿部裕介」という写真家に遭遇した。僕が好きな仲野太賀を撮影している写真家だ。僕の旅が終わる頃に,上出遼平,仲野太賀,阿部裕介が手掛ける「MIDNIGHT PIZZA CLUB」という旅本が発売される。この文章はそのオマージュに過ぎない。

「阿部さんですよね。是非,お写真を撮っていただけないでしょうか。」
「え!僕なんかでいいんですか。」
「是非,よろしくお願いいたします。」
フィルムカメラですね。なんか自分が撮られる側だと緊張しますね。特にフィルムカメラは,今時フィルムも高いし,枚数に制限がありますもんね。」

 数多くの著名人を撮影してきた写真家からこのような言葉を聴けたことは非常に印象深かった。

「シンプルな質問を一つしてもよろしいでしょうか。」
「はい!なんでも!」
「阿部さんにとって『写真を撮ること』とは何ですか?」
「そうですね...難しいなぁ。」
 少しの思考の末,本棚に展示してある一冊の本を大切に捲りながら教えてくれた。

「僕ね,2017年に『ガザ』に行って写真を撮ってきたんだ。今ほど内戦は酷くはないけどね。酷くはないとはいっても大変だけどね。ちょっとこれを観てみて。この写真は『ガザ』の子どもたち。多分もうこの子たちは生きていないと思う。仮に,生きていなかったとしても僕がこの子たちが生きていたこと,存在していたことを写真で遺した。それで十分だと思う。僕はね,『何で撮るか』よりも『何を撮るか』だと思う。」

どこかで失われた命があること。

目にみえる形で遺しておくこと。

生きていること,

生きていたことをそのまま写真に収めること。

12/7/21:24
 このトークショーで何か思い残すことはないかと考えた。上出遼平と阿部裕介のもとへ向かった。お二人と写真を撮りたいと伝えた。フィルムカメラでここに来た,会ったことを遺した。このトークショーでお話しした人にお礼の挨拶をして帰路についた。

12/7/21:47
 ホテルまでの道中にファミリーマートがあった。夜食用にチョコワッフルとシュークリームとライフガードを購入した。甘いものはいくらでも食べられるし,お酒よりもジュースの方がおいしいと感じる。

12/7/21:52
 ホテルに到着した。すぐさま電話をして,これまでの出来事,お話したこと,感じたことを全て伝えた。自分のことのように喜んでくれた。たくさん笑ってくれた。あっという間に夜食を食べて終えてしまった。

12/7/23:21
 湯の温もりの中で今日という一日を反芻し,明日への備えを整えた。この「備え」とは単なる日常の準備を超え,僕自身がより深い次元で問い直される行為でもある。今日,僕は多くの人々と出会い,言葉を交わした。極端なまでの内向性に支えられてきた僕は,長らく映画や書籍,論文,音楽,そしてデジタルの世界を通じて知を蓄積する日々を送ってきた。しかし,意識的に重い腰を上げ,外界と触れることで初めて得られる「身体性」を伴った知見と感覚があることを知った。
人との対話を通じて,僕という存在がこの世界の中でいかに位置づけられ,どのように意味を持つのか,その曖昧な輪郭が徐々に明らかになるような感覚があった。それは,単なる「他者との交流」という表層的な行為を超えた,深い認識の旅である。これまでは対人関係に距離を置き,その多くを排他的に退けてきた。しかし,今日の経験を通じて気づかされたのは,対話が持つ根源的な魅力だ。それは勝者や敗者を生む競争ではなく,正しさを争う論破でもない。むしろ,それぞれの視点と思考を通して,世界を再構築し,拡張するための共同作業であると考えた。
 この共同作業において必要なのは,優劣や正誤の枠を超えた「敬意」と「対等性」だ。他者の思考に耳を傾け,その価値を認めることで初めて,真に意義ある対話が成立する。そしてこの営みの本質は,異なる視点をただ受け入れることではない。それを咀嚼し,内面化し,新たな価値へと昇華させることである。僕の今後の課題は「対話」と「寛容」,そして「旅」であるような気がしている。異質なものを受容し,それを切り捨てずに意味を見出していく知的な試みが必要であると考えた。
 今日の対話の中で,「旅」という言葉に新たな光が差し込んだ。それは「上出遼平」という人物を通じて触れた概念だった。これまでの僕にとって,旅は物理的な移動に伴う出来事であり,生活の外にある特別なものだった。しかし今では,知識と思索を通じて新しい視点を獲得する過程そのものが「旅」たり得ると感じている。物理的な移動を伴わずとも,対話を通じて世界を知り,深めることができる。その意味で,僕はすでに「知的探求の旅」の途上にあるのかもしれない。
 この新たな旅を続けるために,もっと多くの人と話してみたい。相互に学び合い,発見を分かち合いながら,未知の地平へと歩みを進めていきたいと思う。おやすみなさい。